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千葉地方裁判所八日市場支部 昭和57年(ワ)17号 判決

原告 菊池武雄

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 岡部文彦

同 本木陸夫

同 田中一誠

同 高山光司

右訴訟復代理人弁護士 向井弘次

被告 有限会社 東かまぶろ

右代表者代表取締役 内山藤衛

〈ほか五名〉

右六名訴訟代理人弁護士 雨宮真也

同 中村順子

同 川合善明

同 島田康男

右訴訟復代理人弁護士 緒方孝則

同 木村美隆

主文

一、原告らの請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、申立て

(原告ら)

一、被告らは、各自、原告両名に対し合計して四、六七一万九、一七五円及びこれに対する昭和五六年四月二五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告らの負担とする。

三、仮執行の宣言。

(被告ら)

主文同旨。

第二、請求の原因

一、当事者

原告らは、訴外亡菊池義憲(昭和二八年一月二四日生、昭和五六年四月二五日死亡、以下義憲という)の両親である。

被告有限会社東かまぶろ(以下会社という)は、肩書地で特殊浴場「東かまぶろ」及び旅館等を経営している。

被告内山藤衛は、被告会社の代表取締役であり、被告内山衛、同内山勲、同飯倉常雄は、いずれも被告会社の取締役であり、被告小川廷三は被告会社の監査役であり、右五名はいずれも被告会社のかまぶろ経営等の業務を指揮監督する地位にある。

二、義憲の死亡前の状況

原告らの二男義憲は、前途有望かつ壮健至極の青年であり、原告らとともに農業のかたわら、国鉄成東駅近くで食堂を経営して、原告らの家計を維持するために不可欠の支柱であった。義憲には、婚約者も決まっており、近いうちに結婚式を挙げる予定で希望に燃えていた。

三、事故の発生の経緯

1、原告菊池武雄(以下武雄という)は、義憲とともに、昭和五六年四月二五日午後七時頃、被告会社の経営する「東かまぶろ」に入浴に行き、午後七時頃から約五分間、二人で一緒に第一回目の入浴をすませた。

2、原告武雄は、右一回目の入浴の後休憩場で暫く休んでいたが、義憲は再度入浴に行くと言って浴室に入った。義憲は、同日午後八時一五分頃、浴室の中に意識を失って倒れていた。

3、同時刻頃、右浴室の反対側に設置されている女子の浴室(女風呂)にも同種の事故が発生し、訴外小川賀子、同佐久間吉が同時に意識障害を起こして倒れた。

4、原告武雄は、義憲が浴室の中で意識不明になっているのを発見するや直ちに浴室の中から引きずり出し、大声で救助を求めたが、浴場の管理責任者は誰も現われず、代わりに同じ入浴客であった訴外高橋定吉らが人工呼吸などの応急手当を施してくれたので一時は意識を回復したかに見え、引き続き直ちに山武郡南病院に収容されて治療手当を受けたが、同日午後一〇時一〇分頃、同病院において死亡した。

5、本件事故発生時の東かまぶろは、ガスをかまぶろの中で燃焼させて、その中に人間が入る方法がとられていた。本件事故当日において、ガスを点火してかまぶろの保温管理をする担当責任者は、被告会社代表者である被告内山藤衛であった。

四、本件かまぶろ内の構造

1、本件かまぶろは、浴室外で天然ガスを燃焼して得られる熱気により、床や壁をあたため、間接的に浴室内の温度をあげる構造のものである。

2、しかるに、浴室外に設置してある点火用バーナーは、ガス管によって浴室内床下部分に至るまで接続されており、そのガス管の先端から放出されるガスの熱気は浴室内床下部分及び壁面部分に至るまで充満し、これによって浴室内の温度を高温化し、いわゆるむしぶろ状態となる。

3、本件かまぶろの浴室内は、気密構造であり、新鮮な外界空気との流通路は入口部と天井に穿設された換気口四ケ所と床面に穿設された換気口二ケ所のみである。

(一) 右入口部は、人の出入り時のみに開き、通常は閉じられている。

(二) また、天井に穿設された右換気口は、直径二センチメートル位の極小の孔である。

(三) そして、床面に穿設された右換気口は、浴室内と燃焼室とを連結する唯一の通路となっている。

4、本件かまぶろは、男と女の各浴室が壁によって仕切られており、その壁面には極小の孔が数ケ所穿設され、その孔は壁を貫通している。

五、亀裂の存在

1、本件事故当時、浴室内のかまと床との間には約二五センチメートルにわたって亀裂部分があり、燃焼時にはその亀裂から熱気が噴出していた。

被告らは右亀裂の存在を否定するが、(一)床面が過熱している状態で水を散布すると床面に亀裂が生ずる可能性のあること、(二)本件事故後亀裂から火が見えたことを確認していること、(三)本件事故後、被告らに対し亀裂を補修することを申入れたことがあったこと、(四)右申入後、被告らは亀裂の補修に応じたこと等から亀裂の存在は明らかである。

2、そうすると、燃焼室で燃焼されたガスの排出物または不燃焼時のガスは、燃焼室から亀裂を通じて浴室内に侵入してくることになる。

六、本件事故の原因

1、鑑定人小林義隆の鑑定結果によると、

(一) 本件かまぶろ内の酸素濃度は、測定により大気中の酸素濃度と殆んど同じであること、

(二) 天然ガス燃焼時におけるかまぶろ内の一酸化炭素濃度は〇~二〇ppmであり、その濃度はごく低濃度であるため人体に影響のあるレベルであるとは考え難い。

(三) その他の有害ガスとして炭酸ガスは室内汚染の指標の一つに考えられている。天然ガス燃焼時におけるかまぶろ内の空気中には〇・一三~〇・六二パーセントの炭酸ガスが検出されているが、人体に対して問題にならないレベルであると考えられる

(四) 天然ガス燃焼時に浴室内床部分に亀裂がかりにあったとしても、ごく僅かの量の燃焼ガスしか浴室内に侵入しないと考察されるので、浴室内空気が人体に急激に影響するようなことにはなり難いと考えられる、

ということにある。

2、右鑑定結果によると、本件事故の原因が天然ガス燃焼時に発生したものでないことが結論として導かれることになる。

3、ところで、本件事故の特徴は、同時刻頃に、男の浴室で入浴中の客のほかに女の浴室で入浴中の客が浴室内または浴室外の脱衣所で倒れたことにある。

女の浴室で入浴中の客が倒れたことについては被告らも認めるところであるが、被告らは入浴中倒れた女性は被告会社の従業員である訴外佐久間吉の一人のみであり、しかも、同女は病みあがりで健康状態があまりよくなかったと主張する。

4、しかし、証人小川賀子の証言によると、同女は本件事故当日の午後八時前頃に入浴中、胸がむかつき、気持が悪くなり、吐き気を催してきたので、這うようにして浴室外に出たと述べている。そして、同女が浴室の出入口を出るのと同時頃に人の倒れる音がしたのである。

5、このことは、少なくとも、事故当日、義憲が浴室内で入浴中に倒れた頃、女の浴室内でも二人の女性が気分を悪くして倒れたことに他ならない。

このように、同時刻頃に、男の入浴客一名と女の入浴客二名が倒れたことをもって、いずれも自己の体調を無視した過度の入浴をなしたためであるといえるであろうか。

6、被告らの論理で考察すれば、偶然が重なった結果によるものであることになるが、余りにも不自然と言わざるを得ない。

義憲、訴外小川賀子及び同佐久間吉が同時刻頃に事故に遭遇したのは、共通の原因に曝露したことにある。以下、その曝露の経過を述べる。

(一) 被告内山藤衛は、事故当日午後七時過ぎ頃、入浴客が温いと騒ぎ出したため、ガスを点火するため燃焼室へ行った。

(二) 被告内山藤衛が、燃焼室でガスに点火したか否か不明であるが、仮に点火したとしてもその後、男の浴室客が床の亀裂部分に水を散布したため、ガスは消え、浴室内に天然ガスが充満するに至った。

なお、浴室内が温いと入浴客が床面に水を散布して一時的に浴室内の温度をあげることが過去にあったこと、及び本件事故後に不燃焼の天然ガスが放出されている状態があったことを被告らに指摘した例があったことから、右の事実は十分首肯できるところである。

(三) 浴室内に天然ガスが充満すると、主にメタンガス(九八~九九パーセント含有)が浴室内の空気中に混入し、酸素濃度は徐々に低下する。

(四) 男の浴室内に天然ガスが充満するにつれ、女の浴室と仕切った壁の孔から女の浴室内に天然ガスが漏れ、女の浴室内は男の浴室内と同様に酸素が欠乏していく状態となった。

(五) そこで、男の浴室内は酸素が欠乏し、偶々、入浴中の義憲は浴室内で意識不明の状態で倒れたのである。

また、同時刻頃、訴外小川賀子及び同佐久間吉は浴室内で気分を悪くしたことにある。

7、なお、義憲は、死亡後、死体の解剖をしていないことから、事故の原因を複雑にしているが、女の入浴客も同時に事故に遭遇していることから、浴室内で何等かの外的要因が加わって事故が発生したというより外に原因は考えられず、ガスが燃焼中には人体に影響がないとすれば、不燃焼の天然ガスが浴室内に充満した結果、本件事故が発生したものである。

七、被告らの責任

1、本件事故当時の東かまぶろの管理者は、経営主体である被告会社である。被告会社代表者兼被告内山藤衛は当日の直接の管理責任者であった。被告内山衛、同内山勲、同飯倉常雄、同小川廷三らは、いずれも被告会社の業務を指揮監督する役員であり、かまぶろの経常的な維持管理の衝に当っていた。

2、右被告ら五名は、被告会社の経営する東かまぶろの管理責任者として、被告会社と入浴契約を結んだかまぶろの入浴客に対し、入浴客の身体的安全をはかるべき注意義務があるのにこれを怠り、入浴契約を結んだ入浴客である義憲外数名の者が入浴中のかまぶろ浴室内に天然ガスを充満させ、よって、酸素欠乏により義憲を死に至らしめた過失がある。

3、従って、被告らは、義憲の両親である原告らに対し、義憲の死亡による後記損害について、債務不履行ないし不法行為に基づく賠償責任がある。

4、被告らは、本件事故直後は、自己の責任を全面的に認めていたのにかかわらず、その後になって、一転その責任を否定するのみならず、原告らの損害に対する賠償についても一片の誠意をも示すこともなく現在に至っている。

しかしながら、東かまぶろでは、亡義憲ら以外にも過去に数回にわたり同種の中毒事故が発生しており、危険な有毒ガスがたびたび浴室内に発生充満した事実がある。

被告らにおいても「かまの中に水を撤くと危険」などの注意書を浴室の入口に表示していたくらいであり、被告らの責任は明白である。

八、損害

1、逸失利益 二、九二一万九、一七五円

昭和五五年度平均賃金(二八歳、企業計、学歴計) 二七四万二、四〇〇円

右喪失期間 三九年間

生活費控除 五〇%

中間利息控除(新ホフマン係数) 二一・三〇九二

計算式 274万2,400円×(1-0.5)×21.3092=2,921万9,175円

原告らは、これを各二分の一宛相続した。

2、慰謝料 一、五〇〇万円

義憲は、原告ら一家の支柱であるとともに、結婚を間近に控えるまでに成長して来て、原告ら両親の希望の灯ともいうべき存在であった。それが突如として本件事故による死亡という悲劇に追いやられ、希望を託すべきわが最愛の息子を奪われた原告らの精神的苦痛こそはかりしれないが、慰謝料として一、五〇〇万円が相当である(原告ら一名につき七五〇万円)。

3、葬儀費 五〇万円

原告らは、義憲の葬儀を営み、その費用として五〇万円を支出した。

4、弁護士費用 二〇〇万円

原告らは、本訴を原告代理人らに委任しその費用(着手金、謝金、費用一切を含む)として認容額の一割相当を原告代理人に支払うことを約した。本訴では、その内二〇〇万円を請求する(原告一人一〇〇万円)。

九、よって原告らは、被告らに対し、連帯して原告両名の損害金合計及びこれに対する事故の日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、答弁と反論

(答弁)

一、請求原因一のうち

1、原告らと義憲の身分関係、出生、死亡年月日を認める。

2、被告会社が特殊浴場(むしぶろ)を営むものであることを認め、その余を否認する。

3、原告内山藤衛が代表取締役であること、同内山衛、同内山勲、同飯倉常雄が取締役であること、同小川廷三が監査役であることを認め、その業務内容についての原告らの主張を否認する。

二、同二は不知。

三、1、同三の1のうち、原告武雄と義憲が昭和五六年四月二五日午後七時頃、被告らの経営する東かまぶろ(むしぶろ)に入浴に来たことを認め、その余は不知。

2、同三の2のうち義憲が入浴中に異常を生じたことを認め、その余は不知。

3、同三の3のうち二人の女子入浴客が同時に意識障害を起こして倒れたとの点を否認する。

4、同三の4のうち義憲が入浴中に異常を生じ山武郡南病院に収容された後、死亡したことを認め、「被告会社の管理責任者は誰も現われなかった」との点を否認し、その余は不知。

5、同三の5を否認する。

四、1、同四の1を認める。

2、同四の2につき認否をしなかった。

3、同四の3のうち(三)を否認し、その余について認否をしなかった。

(三)について、特許公報の図面及び説明によれば、「排気孔二三」はカマ体の煙道に通ずると記載されていることは確かであるが、被告会社の東かまぶろにおいては、甲九号証図面の「排水孔」(図の「排水溝」は誤記)は、カマ体の外に直接排水しており、特許公報にいう煙道には通じていない。特許公報の「排気孔二三」は、実際の製作においてはカマ体の外に直接排気するように設計製作されており、公報にいう煙道には通じていないのである。

4、同四の4のうち壁面に極小の孔が数か所穿設され、その孔が壁を貫通していることを否認し、その余の認否をしなかった。

五、同五の1、2を否認する。

六、同六の3ないし7を争う。

七、1、同七の1のうち被告会社がかまぶろを管理し、被告らが前記のとおりそれぞれの役職にあったことを認め、その具体的職務が原告主張の如き内容であることを否認する。

2、同七の2のうち被告会社が入浴者の安全をはかるべき一般的義務を負うことを認め、その余を否認する。

3、同七の3を否認する。

4、同七の4のうち「かまぶろの中に湯水の散布は堅くお断りします」との記載が含まれている「規定」と題する書面を浴室入口に掲示していたことを認め、その余を否認する。

八、同八の1ないし4はいずれも不知。

九、同九を争う。

(反論)

本件訴訟の争点は、義憲の死亡につき、被告らにかまぶろの管理責任者として債務不履行ないし不法行為責任が認められるか、という点にあり、原告らは被告らの責任原因として、かまぶろの管理を怠ったため義憲入浴時に酸素欠乏状態をきたし、同人を死に致らしめた、と主張する。そこで以下義憲の死因が酸素欠乏によるものかどうかについて詳論する。

一、原告らは酸素欠乏の可能性の根拠として、第一に、かまぶろの気密構造を指摘し、第二に、かまぶろ内のかめの下部にあった、亀裂部分から燃焼しない天然ガスが噴出し、かまぶろ内の酸素濃度を急速に低下させたことが考えられるとしつつ、第三に、本件当日同時刻頃、女ぶろにおいて少なくとも二名の者が倒れたり気分が悪くなったことが何よりもその証拠である、という。

二、しかし、原告らの右の根拠はいずれも主張事実を根拠づけるものとは言えない。

(1) まず、かまぶろの構造についてみるに、本件かまぶろには天井部分に四ケ所、床部分に二ケ所計六ケ所の換気口が設けられており、酸素欠乏状態のおこらないよう細心の設計がなされているのであるから、完全な気密状態とは言いがたい。

しかも入口扉の開閉のたびに外部から空気が流入し、温度が低下するくらいであって、当然それだけ外気の流入により酸素の補充がおこりうるとみられ、酸素欠乏のおこる構造ではないと言うべきであろう。

(2) 次に亀裂については、検証の際その存在が確認されておらず「事故当日以後かまぶろを修理補修したことはない」というのであるから、そもそもそのような亀裂は存在していなかったと考えるべきであり、仮に存在したとしても表面だけのわずかなものであったと思われる。

仮に百歩譲ってもっと大きな亀裂があったとしても、天然ガスの噴出があったとはとうてい考えられない。そもそもガス燃焼室はかまの端下部の区画された部分であって、かまの下部全体に火が回る構造にはなっておらず、いかにかまぶろ内に水をまいたところで燃焼中のガスが消えるということはありえないからである。亀裂の幅は一ミリあるかないかの程度と言うのであり、そもそも義憲入浴時に水をまいた者がいたという証拠が何一つ存在しない以上、原告らの主張は何ら証拠に基づかないものと言わざるをえない。

鑑定人小林義隆は、本件のかまの内外の気圧は同じとみることができるが、このようにかまの内外の気圧差が認められない場合には、ガスが噴出するということは考えがたいこと、さらに本件天然ガスはメタンを九九ないし九八パーセント含有しているが、メタンは大気中に五パーセント存在しただけでもわずかな発火源により爆発をきたすものであり、人体に影響を及ぼすほどの酸素欠乏を導くためにはメタンが大気中に五〇パーセントくらいまで噴出しなければならず、そのような事態となってなおかつ爆発をきたさないなどということはおよそありえないこと、を述べる。したがって、亀裂の存在を前提としても天然ガスの噴出による酸素欠乏の可能性はないとみるほかはない。

(3) さらに、女ぶろで女性客が同時刻に倒れたことも何ら根拠となるものではない。

原告らは男ぶろと女ぶろとは壁面の孔により通じていると主張するが、どこにそのような証拠があるというのであろうか。男ぶろと女ぶろとは完全に独立のかまとなっている。仮に極小の孔があったところで前述のように二つのかまの気圧差が認められない以上、一方のかまの空気が他方へ噴出するということは考えられないのである。

女ぶろで倒れたとされる佐久間吉は病気退院直後で体調不充分であったこと、気分が悪くなったという証人小川賀子はもともとかまぶろを好んではいなかったことからすれば、右の症状はいずれも固有の事情によるものと考えるべきであろう。かえって右小川が声をかけたところ、「別に変わりありません」と言って平然とかまぶろから出ていった女性客がいたということや、佐久間以外の二名の従業員に何ら異常がなかったことからすれば、女ぶろに異常があったとはいえないはずである。

三、義憲を直接診断した医師によれば、義憲の遺体には著明なチアノーゼが認められた、とのことであるが、チアノーゼは還元ヘモグロビンが増加すれば起こりうるもので、心臓が停止すれば酸素欠乏による窒息でなくても起こる現象であるから、必ずしもこれだけで酸素欠乏を根拠づけるものではない。

かえって酸素欠乏の際通常認められるはずの、うっ血や暗赤色の死斑がカルテに記載されていないところを見ると、このような現象は認められなかったのであろうから、むしろ酸素欠乏以外の死因を考えるべきである。

また義憲の異常が発見される一五ないし二〇分前まで自分と六〇歳くらいの男性がかまの中におり、何ら異常はなかったということであって、このような短時間のうちに生命に危険のある酸素欠乏状態が起きるとはとうてい考えられないところでもある。

義憲は遅くとも午後七時四五分ころには、二回目の入浴としてかまぶろに入り、そのまま意識不明の状態で発見された午後八時一五分まで約三〇分以上かまぶろ内にいたと認められる。かまぶろの一回の入浴時間は三分ないし五分が適当である旨注意書があり、長くても一〇分が限度であることからすれば、義憲がいかに若年で健康体であったにしても、かかる入浴方法で心臓に過大な負担がかかったことは容易に想像がつくところである。

警察もまた右のような観点から、被告らの責任を何ら問題としておらず鑑定人小林も酸素欠乏の可能性がほとんどありえない旨結論を明言している。

このように考えると、義憲の死亡が原告らにとりいかに耐え難いものであるとしても、被告らの責任に基づくものでないことは明白である。よって本訴請求は棄却されるべきである。

第四、証拠《省略》

理由

一、請求原因一のうち原告らと義憲の身分関係、義憲の出生・死亡年月日、被告会社が特殊浴場(むしぶろ)を営むものであること、被告内山藤衛が代表取締役であること、同内山衛、同内山勲、同飯倉常雄が取締役であること、同小川廷三が監査役であることは、当事者間に争いがない。

二、原告武雄本人尋問の結果(以下供述という)によれば、請求原因二の事実をほゞ認めることができる。

三、同三のうち、原告武雄と義憲が昭和五六年四月二五日午後七時頃、被告らの経営する東かまぶろに入浴に行ったこと、義憲が入浴中に異常を生じ、山武郡南病院に収容された後、死亡したことは、当事者間に争いがない。

四、本件かまぶろが、浴室外で天然ガスを燃焼して得られる熱気により、床や壁をあたため、間接的に浴室内の温度をあげる構造のものであることは当事者間に争いがない。

浴室外に設置してある点火用バーナーは、ガス管によって浴室内床下部分に至るまで接続されており、そのガス管の先端から放出されるガスの熱気は浴室内床下部分及び壁面部分に至るまで充満し、これによって浴室内の温度を高温化し、いわゆるむしぶろ状態となること、本件かまぶろの浴室内は気密構造であり、新鮮な外界空気との流通路は、入口部と、天井に穿設された換気口四か所と、床面に穿設された換気口二か所のみであること、右入口部は、人の出入り時のみに開き、通常は閉じられていること、また天井に穿設された換気口は、直径二センチメートル位の極小の孔であること、以上の事実は、被告らの明らかに争わないところである。

五、亀裂の存在

1、《証拠省略》によると、本件事故当時、浴室内の奥の床に幅約一ミリメートル、長さ約二〇センチメートルの亀裂が存在したことが認められる。《証拠判断省略》

2、しかし《証拠省略》によれば、右の如き亀裂があったとしても、内部の気圧と外部の気圧がともに一気圧で、圧力差がないから、燃焼室で燃焼した天然ガスの排気ガス、または不燃焼時の天然ガスは、燃焼室から亀裂を通って浴室内に入ってくる可能性がないこと、またメタンの燃焼排ガスそのものの一酸化炭素濃度は一〇PPM内外であるから、たとえ燃焼排ガスが浴室内に入っても浴室内の酸素濃度には影響がないこと、燃焼されないメタンガスが浴室内に入っても毒性は殆んどないこと、以上の事実が認められる。

六、本件事故の原因

1、請求原因六の1の事実は右小林義隆の鑑定の結果と証言によって認めることができる。

2、女性二人と共通の原因とは必ずしもいえない。

《証拠省略》を総合すると、義憲が男の浴室に入浴中に異常を生じたのと同じ時刻頃に、女の浴室内で小川賀子が入浴中胸がむかむかした感じがして気持が悪くなり、吐き気を催してきたので、這うようにして浴室外に出たこと、及び同時刻頃佐久間吉がかま(ぶろ)に入ったら息苦しくなって出たあと更衣室付近で倒れたことが認められる。

しかし、《証拠省略》によれば、小川賀子は揚げ物で食事をしてすぐ入ったから気持が悪くなったと考えられないでもないこと、同女がかまの中に入った時、先に入って仰向けに寝ていた客があり、その客に同女が目が変に感じないかと質問したところ、その客は「別に変わりはありません」と言って出て行ったこと、同女も、かまの中に長くても一、二分しかいないですぐにかまから出たから、右の客と異なる気体を吸ったとは考えられないこと、同女は更衣室に暫くおり、倒れた人もそれを介抱している人もいたが、その客は、更衣室付近で倒れた佐久間吉とは違い、立ち去ったのかその場にはいなかったことが認められる。また《証拠省略》によれば、佐久間吉は一か月以上入院して喉の手術をして退院した直後で体調不充分であったことが認められる。従って、右二名が義憲の異常と同時刻頃に気分を悪くしたことのみによって、それがまちがいなく共通の原因によるものとは認めることはできない。

3、不燃焼の天然ガスが浴室内に充満して酸素欠乏が生じたという主張は認められない。

請求原因六の6の(二)のうち、被告藤衛が点火しなかったことを認めることはできない(《証拠省略》によれば、事故当日午後七時頃原告武雄からぬるいと言われて被告藤衛がガスバーナーに点火し(男、女両方に)、午後七時半頃、これらを消したことが認められるのである。)。また被告藤衛が点火した後、男の入浴客が床の亀裂部分に水を散布したこと、水を散布したためガスが消えたこと、浴室内にガスが充満するに至ったことを認めるに足る証拠もない。

従って、右六の6の(二)の事実を前提とする同六の6の(三)の事実を肯認することはできない。

同六の6の(四)の事実中男の浴室の壁に女の浴室とつながっている空気孔が二つあることは検証の結果から認められるけれども、その余の事実を認めるに足る証拠はない。その前提とする事実も前記のとおり認められない。

同六の6の(五)のうち、「そこで男の浴室内は酸素が欠乏し」た旨の主張事実もこれを認めるに足る証拠はなく、前同様前提として主張する事実も認められないのである。

《証拠省略》によれば、小倉正博は、事故当日、午後七時四〇分頃脱衣所へ行き、着衣を脱いでからかまぶろに入った時、二人先客がいたこと、そのうち奥の方にいた人は頭(額)の下に手を組んで額につけて枕にして、俯せで足を伸ばして寝ていて、小倉正博が一五分位いた後かまから出るまで全然動かなかったこと、もう一人の六〇歳位の客は手前にいたこと、更にもう一人客が入って来たこと、小倉正博がかまを出て水風呂の方へ行って五、六分かけて石鹸で体を洗い、ひげを剃り、湯と水とをかぶってから脱衣所に行き服を着て、テレビのある休憩室に行って一服しながらテレビを三ないし五分位見た頃(かまを出てから一五ないし二〇分位後)、脱衣所の方でがやがや音がしたので行って見ると奥の方にいた人が具合悪いということで引っ張り出されていて脱衣所で仰向けになっていたこと、それが義憲であったことが認められる。すなわち義憲の異常が発見される一五ないし二〇分前まで三人の人が義憲とともにかまの中にいて何ら異常がなかったということになる。

《証拠省略》に照らして、気圧が同じであるから、右一五分ないし二〇分の短時間のうちに天然ガスが浴室に充満することはないと考えざるを得ない。

《証拠省略》によると、本件事故の二、三年前に訴外斉藤きょう栄が本件かまぶろに入っていて気分が悪くなって出て来た時に、岩崎東一がそのあとでかまに行ってドアを開けて入ろうとしたとき圧縮で体を押された感じがしたことが認められるが、《証拠省略》によれば、本件事故の際には気圧が違うようなことはなかったことが認められる。

《証拠省略》によると、義憲の症状に顔面チアノーゼ著明があったことが認められる。

しかし、《証拠省略》によれば、酸素欠乏による窒息死の場合も、それ以外の原因で心臓が止まった場合にも、チアノーゼが起こることが認められるから、右事実から酸素欠乏が起こったことを認めることはできない。

他に、酸素欠乏が起こったことを認めるに足る証拠はない。

《証拠省略》によっても、人体に影響を与える酸素濃度は一八%以下であり、時間との関係で急激に死亡する(生命に影響する)のは一〇%以下であること、もし浴室内に天然ガスが噴出してそのため通常の空気中の酸素濃度二一%を酸素濃度一〇%以下にしたというためには、空気中のメタンガス濃度を約五〇%にしなければならないこと、天然ガスの九九・二八%を占めるメタンの爆発可限界は五%であること、従って五〇%になるまでに浴室内で爆発が起きてしまったであろうこと、爆発が起こっていないことから考えると、浴室内に天然ガスが充満したということはなかったであろうこと、が認められるのである。

4、なお義憲の死亡原因が一酸化炭素中毒であったことを認めるに足る証拠はない。

5、他に本件事故の原因が被告らの責任に基づくものであることの主張立証はない。

七、そうだとすると、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は、理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 木村輝武)

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